博多から長浜を超えて大濠の地で肩こり改善

当館「健康館」は、心と身体を健康にするところです。博多から長浜を越えて大濠公園へ行く途中に健康館があります。住所は荒戸3丁目です。その通り沿い北方向には、桜の名所として親しまれている西公園があります。光雲(てるも)神社のあるところです。

光雲神社の事を少し話しますと、西公園のあるこの場所には江戸時代は徳川家康を祀る「東照宮」が建てられていましたが、維新後の明治14(1881)年に公園として整備され、桜が植えられました。江戸時代、福岡藩では徳川家への忠誠心を形として示すために福岡城からほど近く、見晴らしも良い西公園=荒戸山に徳川幕府の初代将軍、徳川家康を祀る「東照宮」を造りました。東照宮とは徳川家康の廟所(びょうしょ)=祖先や貴人の霊を祭った場所であり、また、福岡城の北に当たるこの地は、城下を守る地としても重要であったらしいです。

荒戸山の東側、長浜の北側には福岡藩の要港として築かれた荒戸の港「波奈(はな)の港」があり、鍵型に突き出た堤防や船、岸には碇倉(いかりくら)や荷物倉や、鉄砲倉が並んでいて、福岡藩の重要な港であったらしいです。荷物の積み下ろしや積み込みが行われていたのでしょうね。現代の私たちと変わらず、首痛や肩こりや腰痛もあり、さぞ疲れていたことでしょう。そして、もしかしたら、温泉?や鍼や灸などの治療もあって、疲れを治療していたのかもしれませんね(^^)(今後調べていきます)

肩こりという言葉

ところで、肩こりという言葉を広めたのは誰かご存知ですか?週間現代に記載されていた内容ですが、1910年明治の文豪・夏目漱石が発表した『門』の一節からとされる説があるとのことです。「・・・指で圧して見ると、頸と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝ってゐた」元は江戸時代の文献にあった「肩がこる」という用例を漱石が使ったらしく、『門』が新聞に掲載されることになり、肩こりという言い方が世間に広まったらしいです。その後、近代的な国語辞典の代表格であった『大言海(だいげんかい)』にもこの漱石の用法にならって「肩こり」という表現が収録され日本語として定着したとの説もあります。